webの記事より:ロックダウンのNZで東京都知事の会見をみてひっくり返りそうになったので長いけど読んでほしい。
いうまでもなく、日本は、説明する、構成する、が下手である。というより、はじめからやる気がない。
日本の文化では、そもそも“説明しなければならない、ということ”自体が“ありえない”からである。
“説明しなければならない”ことは“水くさい”ことであり、従ってその相手は“味方”ではなく“敵”であることを意味する。
自分の味方ならば“言わなくてもわかって”もらえるのが当然だからだ。
従って説明しなければならない側も、説明される側も、身をよじっていやがる、ことになる(実際公共図書館で、特に年配の男性客には、このことはすでにご承知と思いますが、という魔法の一言が不可欠である。説明されるということは“このことはあなたさまはご存知ありませんよね?という侮辱になるからだ”)。
本当に、身をよじって嫌がるんですよ?
だからちゃんと説明されなくても日本人は怒らない。
むしろ、ちゃんと説明できる人が来ると不信感や不快感を見せる。
でも、もちろん子どもは違う。
特に9才以下の子どもたちは、きちんと説明されることを望み、快感を感じ、深く満足する。
今度の新要項改訂で、その子達が成長したときに説明をする、されることを望む国民性になっていれぼ、と思う。
その前にコロナに負けるかもしれないが。
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ロックダウンのNZで東京都知事の会見をみてひっくり返りそうになったので長いけど読んでほしい。https://note.com/anarita/n/ncb20dc32bc9d