教師になりたい人が少ない……という問題について
なぜ、教師になりたい人が減ったのか、というと、情報がとりやすくなって、他にも仕事があるよ、ということがわかるようになったことと(以前は女子の職業は、看護師、教師、保育士、花屋、ケーキや、美容師、くらいしかみんな思いつかなかった)一番大きなポイントは、子どもたちが学校をものすごくよく知っていること、があるのではないかと思う。
普通、仕事というのは、つくまで内実はわからないことが多い。
漠然とこんな仕事、とは知ってはいても、やってみたら、えっ?
の連続になる。
まぁ、教師だって、はたから見てるのと、実際にやってみるのは大違い、ではあるけど、少なくとも子どもたちはある意味“骨身に沁みて”学校を知っている。
ある時、看護師だの介護士だの薬剤師だの、という仕事があがるなかで、教師がゼロだったとき、なんで?
と聞いたところ、女子三人に
「だって、あたしらみたいなのの面倒みるんだよ?大変じゃん!」
と口々にいわれたことがあった。
😅
子どもたちは9年もの長い長いあいだ、教師と、親より長い時間を過ごすのである。
彼らは教師がどんな仕事をしているのか、他の仕事よりもずっとよく知っているのだ。
それに加えて、もう一つ、学校という組織が、自分たちを守ってくれるどころか、積極的に攻撃してくることもあること、教師ですらも守ってはもらえないことも知っている。
自分が大好きな大人がいて、その人を尊敬している場合はその人のようになりたい、と子どもは思う事が多い。
病気で入院したあと、看護師や医者を目指す子どもは多いのだ。
それはその人達の仕事に感服し、尊敬し、自分もそうなりたいと思うからだ。
だから、自分が大好きな先生がいて、その人を尊敬し、学校は子どもを守るところだ、と信じられれば、教師になりたいと思う子どもは増えるだろう。
実際、子どもたちと過ごし、彼らの成長する瞬間を見られ、自分も成長するのを感じられる、これは楽しい仕事なのだから。
でもそういう子どもが少ないということは、子どもたちが尊敬し、大好きだった教師はいなかった、学校は子どもを守ってくれる、いいところだ、と子どもたちが思わなかった、ということなのではないか?
と思う。
正直、学校司書というのはつらい仕事だ、と思う時があるが、それはほとんどの場合、教師が子どもをいじめているのを黙って見ていなくてはならないときだからだ。
これは口出ししていいものかどうか、たいていの学校司書はためらうだろう。
(それにもちろんそれは、校長の仕事であるに決まっている)
いえば、下手をすればクビになるだけだということもわかっているし、言ったところで改善されないということもわかっているし、いったことで、その子がもっとひどい目に合わないとも限らないし。
そうしてそのことを知っているほかの先生がたも知らんぷりする、というのを子どもたちは体感する。
殆どの場合、子どもをまもるより、教師のプライドや面子が優先されるからだ。
いや、それも大事ですよ。
教師も守られなければならないし、自尊心を傷つけていいわけではない。
でも、どっちを取るかと言われれば、大事なのは子どもでしょうよ。
でも何も言わなければ、子どもたちは、司書も自分の味方ではないのだな、と思うだろうと思う。
わかって何もしないのは、わからなくてなにもしないのより、たちが悪いのだから。
かげでこっそり、あなたが悪いわけじゃない、ということはわかっているからね、ということもできる。
そうして、何もしないよりはずっとそのほうがマシだとは思う。でもこれも根本的な解決にはならないよね。
そうして日本という国の文化は、いじめられた子どもがいることが(しぶしぶ)認められた場合でも、校長や教育長がその子には謝らない。普通ね。
お騒がせして申し訳ない、と、どこにいるかわからない“世間”に対して謝るのだ。
申し訳ないのはいじめを止められなかったことや、その子を守らなかったことではなく、それがバレて“世間を騒がせた”ことなのだ。
(これを英訳するのは大変だ。というか、できない……。世間、とはなにか?なぜそれに謝るのか?と必ず聞かれてしまう)
それをいじめられた子もいじめた子もそれを傍で見ていた子どももみんなみんな、子どもは全員が見ているのだ。
そういう会社に就職したいと、誰が思います!?
長時間労働も、給料が低いことも、もちろん問題だ。
私も先生は5時にとっとと帰れるようになってもらいたいと思う。
だって、でなければ次の日の8時に元気よく働きに来られないじゃないですか!?
でもそれ以前に、あの、学校という歪んだ、誰も守ってくれない(だって、学校のなかって犯罪のやり放題ですからね。いじめるやつは、私は苦しい、と訴えているわけだから、そっちも保護しなければなりませんが、大人が介入しないのならそこはやりたい放題の無法地帯になるだけですから)理不尽な会社には入りたくない、と思うのだったら、時間が短くなろうが、給料が少々上がろうが、来たいとは思わないだろう。
本来、教師は魅力的なやりがいのある仕事だ。
教師のなり手を増やしたいのなら、子どもたちに、学校は楽しい、先生大好き、先生のことは尊敬できる、学校があってよかった、と思ってもらえるようにすること、だと思う。