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ちょっと聞いてみました。

「被爆に関するウソあり」東大名誉教授論文を先輩学者が指摘
エンタメウィーク 更新日:2019年2月18日
ent.smt.docomo.ne.jp/article/1859254

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という記事を読み、ちょっと聞いてみました。

お返事です

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一言でいえば「わかりません」。そもそも信頼性のあるデータそのものがありません。この論文は結構問題があるようで、私は専門ではないので厳密なことは言えませんが「かなり無理がある」ようです。
批判や否定論が噴出しています。
しかし、問題は「この論文はおかしい」という人はたくさんいても「こちらが正しい」という反論が 見当たらないことです。
なぜならどこにも基礎となるデータがないからです。「こんないいかげんなデータからこういう結論を断定的に導くのはおかしい」
とは言えますが、まだ 誰も「この結論は誤りで、実はこのぐらいの被曝線量だった」
という反証を挙げることができた人がいません。
結局福島の人達が実際にどれだけ被曝したのかわからない という振り出しに戻っただけです。
それで「危険だ」「いや許容範囲」だという議論をすること自体、意味があるとは思えません。
実は広島・長崎の被爆のケースでも、被曝線量が低い人に長期的にどのような影響が出るのかという研究論文は発表されていないのだそうです。
信頼できるデータ、比較できるデータがないため、国際的な基準で査読を通過
できるレベルの客観性を持った研究が困難だからだそうです。
これが「科学」の限界です。
まだ信頼できるデータも、それに基づく通説も確定していない段階で、「危険」と 断定することは研究者としてできないという、私に言わせれば「学者バカ」のような方もいます。
馬鹿正直に「まだわからないんだから『危険だ』と断定することはできない」
と言うのは、ある意味では研究者として誠実な態度なのかもしれません。
しかし、その発言が独り歩きして、研究者として
「まだわからない」
という意味で
「危険だという結論は出ていない」
と言ってしまったのを、一般の人々が
「危険とは言えない=安全なんだ」
と受け取って社会的な影響が発生することを考慮できないというのは、困ったことです。
「科学」とは、ことほど左様に時間と手間がかかるアプローチでありまして、福島の例で言うと、おそらくあと20~30年ぐらいしないと科学的に信頼できる研究論文は出て来ないかもしれません。
つまり、とりあえずは
「役に立たない」
のです。
私に言わせれば、科学的な根拠に基づいて福島の方針を決めようということ自体、無理だということです。
それを理解したうえで議論しないと、詐欺まがいのいいかげんな言説に基づいて方針を決めることになりかねません。まだ本当に科学的な意味では、危険も安全も証明されていない領域で
方針を決めなければならないのです。そして、もしその判断が間違っていたら、多数の市民が故郷を追われることになるか、あるいは数十年後、多数の放射線障害が発生する結果となる
わけです。それを政治的な見地から、どう決定するかという問題です。