以前、ある県の、
以前、ある県の、とある進学校の高校図書館を見せてもらいにいったとき、たまたま通りすがった先生が、図書館にいこうとした学生に
「図書館なんかいってるひまがあったら勉強しろ!」
と怒鳴っているところに出くわし、驚愕したことがある。
本を読む人が勉強できる、とは限らないが、調査すれば、勉強できる人は本を読んでいる傾向が高い、という結果は出るだろう……。
もちろん、ここでいう本は、文学だけではないですよ?
賢い人の読書はたいてい乱読で、範囲も広く、ありとあらゆる本を読んでいるものなのだから。
もしかしてその先生は、成績が伸び悩んでいる生徒に悩んでいて、その発言になったのかもしれないが……。
その図書館そのものも驚愕するしろものだった。
ほとんど、新書で埋め尽くされた図書館だったのだ。
毎月毎月、手にはいる限りの新書を買って(他の本は、ほぼ買ってはいけないことになっていたようだ)あった。
その図書館に司書を入れるのは金の無駄である。
そういう仕事しかないのなら事務で十分なのだから。
べつに新書が悪いわけではないが、玉石混淆は否めないし、古くなって、もう内容が間違ってしまった情報だってある(社会学は特にそうだけど)。
科学の本だって、1970年代?のブルーバックスの
「新しいコンピュータ」
をいまの高校生が読んで役に立つとも思えない。
そして当然だと思うが、ほぼ読まれた形跡がないのである。
そりゃ、読みかたや使いかたを教えなければ読めるようにも使えるようにもなりませんわね。
でも
ある私立の某……中高一環校は、図書予算500万で司書が三人……。
社会専科と理科専科と情報専科で、情報専科の先生は図書館情報学も兼ねてレポートの書き方も教えているそうで、そこの図書館は現代文学は買わない、という方針で(読みたければご自分で、だそうだ)六年かけて、徹底的に論文の書き方を教えるそうだ。
それで500万あるのなら、たいていの本は買える。
テーマも幅広く、柔軟で、奥の深い蔵書が作れるだろう。
本と図書館を使わずに受験勉強に勝てる、となぜ思うのか、いまだにわからない、と思う。