かん子の連載

講談社の野間文学賞の受賞式に行って来ました。

今夜(12/17)は講談社の野間文学賞の受賞式に行って来ました。
児童は柏葉幸子さんでした。
「霧の向こうの不思議な町」が新人賞になって40年……という挨拶をされましたが、40年なんだ、と思うと変な気持ちがします。
私だってその時生きてたんだけど、結構もう大きくなってたんだけど、あの時代がものすごく前に感じる……。
この100年の間に生まれた日本人はどの世代もそう思ってるんじゃないかと思います。
だって、あまりにも生活が変わりすぎた……。
いま90歳の人なんて、1920年代でしょ?
自家用車なんて持ってなかった(これも死語だよ)
電話もなかった
60年代だってテレビ電話はSFだった
そこからスカイプだよ?
2016年がこんなになってるなんて、1980年には誰も予想してなかったと思います。
そりゃ、ファンタジーの世界そのものは現実とは連動しない……。
だからファンタジーは長持ちするんだ、みたいないわれかたをしてたと思うけど、でも考えてみれば、それを読む読者は現実と連動してるんだよねぇ。
「クトゥルー神話」みたいなハードでダークで壮大なファンタジーは確かに長持ちするんだけど、ほんわかしたのは難しいなぁ……、というか、やっぱり、現実に抱えている問題を解決したくてファンタジー読むのなら、その問題が移り変わっちゃえば読めなくなっちゃうんだよね。
話を聞きながら、もう本当に1970年は過去になったんだ、あそこには永久に戻れないんだなぁ、と思いました。

あと印象的だったのは何人もの審査員たちが評のなかで、子どもの方を向いて書いているか、が受賞の決め手になった、といっていることでした。

う~~~~~~ん~~~。

実際に子どもたちに読まれ、熱烈に支持されているものを選ぶのなら「一期一会」や「絶叫学級」あたりが順当じゃないですか?
うまさからいったら絶句するほどうまいんだから。
無駄なセリフ、文章がホントにない!

でもそういう本には、賞をやりたくないのでしょう?

1960年代、70年代は実際に子どもたちは読んでた。
「トムは真夜中の庭で」だって「ランサムサガ」だって「クローディアの秘密」だって実際にたくさんの子どもたちが読んでた……。
でも、いま、現実、子どもたちが読んでるそういう作品がある?

だったら、それをいっちゃあ、まずいんじゃないの?

(もちろんこれは今回の柏葉さんがどうこうってことじゃなくて、それとはまるっきり別の話ですよ?)

子どもたちが救いを求めてないわけじゃない。
実際、年間に何人の子どもが殺されているかを考えたら寒気がする……。
それもほとんど親に……。

おとといも五年生が一人殺された……。
児童相談所は八回も保護したそうなのに助けられなかったって……。
毎月のように、いじめられての自殺がある……。
いじめられて、毎日、でも死ぬわけにはいかない、と自分に言い聞かせて耐えている、まだ“死んでない”子どもたちが何十万人いるか、見当もつきません。
死ななかったところで、その傷をずっと受けたまま生きなくてはならない……。

愛情に飢え、回りの人間関係に怯え、勉強に疲れ、将来の不安に苦しみ、いまの日本の小学生の日常は下手したら戦場にいるようなものです。
1980年代より、いまは小学生には、はるかに過酷な時代です。
だって、なのに、おまわりさんも、学校の先生も助けてくれないんだよ?
なのに赤の他人が手を出すと誘拐罪だよ!?
子どもはお金持ってないから逃げられない、ホテル泊まれない、遠くにいけないのに……。

もし、本当に子どもたちの助けになることをするのなら“文学好きの大人たちの許容する範囲のなかで”それをやらなければならないことに、どんな意味があるのでしょう?
その“許容範囲”ってなんなのでしょう?

文学、ができることはなんなのでしょう?
文学、でなければならない意味はどこにあるのでしょう?

今は、どうしても自分たちが“文学”だと思うものに賞をあげたいのなら、子どもにこだわるのには無理がある……。
子どもにこだわるのなら……。

誰か突破口を開いてくれないかなぁ……😅

と私も切に祈ってるのですが、いまのとこ、思いつかないよ~。