かん子の連載

LGBTQ+の本棚から 第251回 遠回りしたら僕から・3

トランスジェンダーの林ユウキさんからの寄稿を数回に分けてご紹介しています。
※この寄稿文はブクログには掲載しません

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【遠回りしたら僕から・3】

 そして僕は生理が始まらないまま5年生になった。
 5年生は1泊2日の研修合宿がある。
 その間はみんなと一緒にいなければならないから、この日に生理が始まったりしたらどうしようと、合宿の予定を聞いてからの数週間は特に怯えていた。
ひたすら「来ないでくれ」と念じ続けていたのをよく覚えている。生理の子はお風呂が一番最後になるので、この子は生理ですよ?、とわかってしまうのが本当に嫌だった。
 そのメンバーに自分が入るかも、と思うと参加を考え直すレベルだったけど、この時の僕は真面目で、皆勤賞を狙っていたからサボることもできなかった。
  生理だけじゃなく、みんなと一緒にお風呂にはいらなきゃならないのも本当はとても嫌だったから、合宿が中止にならないかな、とも思っていた。
 女の子しか入れないところに入るのが嫌だったし、他の女の子の体と自分を比べて同じだったらどうしようと怖かったのだということが、今ならわかる。だけどその時は「恥ずかしいから」だと思っていて、みんなもそう思っているようだったから耐えることができた。お風呂に入ったときは薄目で周りをよく見ないようにしていた気がする。 
 今考えたら、生理になっても女の子同士は助けあっただろうし、実際自分も友だちが生理だったので気遣った。 
 友だちはあっけらかんと「生理になっちゃった!お風呂は別だからね~」と言っていたけど、当時は僕は生理は隠さなきゃいけないものだと思っていたし、知られるのは恥ずかしいことだとも思っていたから、あっけらかんと言う彼女に驚いた。
 生理の話すらしたくない状況だった僕は、彼女の言葉にどう反応していいかわからずに、曖昧な返事をしたと思う。 
 これは僕だけじゃなく、今の社会でも男性の側にはまだそういうところがあって、生理の話題をあまり表に出すのはよくないとされているのではないかと思う。
 いまだに生理で体調不良になっても自己責任とされたり、からかわれたり責められたりすることもある。これは本当に良くないことだと思う。
 学校での性教育のなかに、こういうことについての話も入れたほうがいいと僕は思う。
子どもって、隠さなくてもいいんだよ、といわれればそうか、と思うし、こういうことをいったりしたりするのはよくないことなんだよ、といわれれば、そうか、と思うから。
 だから生理についての話にはあまりいいイメージがなく、学校での出来事にも良い思い出がない。思い出すのは、クラスメイトの女の子がポーチを持ってトイレに行くと悪目立ちしていたことや、生理用ナプキンを落としてしまった子が男子に「あれ知ってる。女のオムツだろ」とからかわれたりしていたことだ。 
女子間でも生理について話すことはほとんどなかったと思うけど、それは僕がそういう話題が出そうな女子トイレに行くことがなかったので、聞くことがなかっただけかもしれない。
  生理用品は見られてはいけないもので、落としたら自分も同じ辱めを受けるんだ、とびくびくしながら、生理の日は朝からお腹とパンツの間にナプキンを挟んで過ごしていた。そうすればカバンをあさったりせずそのまま知らぬ顔でトイレに行けるから。 
あとは図書館で生理についての本を見かけたけど、それを読んでるとバレるのが嫌で読めなかった。人がいないときを狙ったりしたけど、結局一度も読めていない。そういうセクシュアリティーな本とかに手を伸ばしやすくなって、必要な知識を得たい人が得られるようになる環境づくりが大事だと本当に思う。

 生理関連だと他には、合宿と同じ頃に親戚の家へ行ったときに、義理の叔母に「生理きた?」と聞かれたことが強烈に印象に残っている。それはもう本当に強烈に。
 遊びに行った近所の小学校の校庭で、まるで世間話をするかのように聞かれたのだ。正直なところ「やめてくれ」と思った。何か良いことのようにすら話す姿が衝撃だった。自分にとっては恐ろしくてならないものを、推奨されるのはかなりキツいものがある。彼女が悪いわけではない。一般的な認識として、正しい成長の過程である生理が来ることは喜ばしいことなのだ。でも、僕自身も生理を迎えることを前提に話されるのが、たまらなく悲しくて泣き出しそうだった。
 「え……いや、まだです……」といった感じで答えただろうか。「早く来るといいね。大人の女性になるんだから」みたいなことを言われた気がするけれど、最初の「生理来た?」の衝撃でそあとは曖昧にしか覚えていない。
 嫌で仕方なくて日々怖いと怯えているものを、人が喜ばしいことだと言うのを見ると、そこに何か大きな壁があるのではないかと呆然とした。その壁を越えられるのが普通で、越えられないと大人になれないのか、試練を乗り越えることで成長して大人になるのかはよくわからなかったけど、自分には到底越えられるものではなさそうだと思った。

 そして5年生の11月27日、夜0時10分……。
 生理が始まったことに気づいた。
 あまりにもショックすぎて、その時見たリビングの時計の針までまざまざと思い出せる。
混乱して、泣きそうになりながら
「血ぃ、出た。どうしよう」
と母にいうと、母は優しくナプキンを渡してきて
「使い方はわかる?」
と声をかけてくれた。
 トイレに座って、パンツにナプキンをつけた時、脱力して、涙が出た。
漏れそうな嗚咽を止めようとすると、わなわなと口が震えて情けなかった。
生理が嬉しいことだと思われているなら、泣いたら母が心配すると思うと泣けなかった。
 
 これは悪い夢で、起きたら無かったことになるかもしれないと思いながら無理やり寝たけど、朝になったらもっとたくさん血が出ていて悪夢は悪夢のままだった。
 その日は学校がある日だったから、なんでこんな日に休みじゃないんだと思った。
 一日中ずっと、ナプキンがズレて経血が漏れ出してこないか心配で授業に集中できなかったし、お腹も痛かった。
 それに、学校でナプキンを変えるのは予想していたのの何倍もハードルが高かった。
 生理だとバレたくなかったので、ナプキンを開封するときの音が周囲に漏れないかビクビクしながらパッケージを開けたし、汚物入れが気持ち悪くて仕方がなくて、触った手を念入りに洗ったりもした。
トイレには絶対に行きたくなかったけど、こうなったら行かざるを得ない。
 でも生理だとバレたくなかったから、2日目以降は学校で取り換えるのはできるだけ1回にして、それも教室のある校舎とは別の棟の、人があまり来ないトイレに行くようにした。
それもビクビクして……。
 教室から出て、誰も見ていないか確認してから廊下を曲がって、早歩きで別棟へ急ぐ……。
ただトイレに行くだけなのに、めちゃくちゃこそこそしなくちゃいけないのが嫌だった。
「この時間やタイミングなら人が通らなくて、誰にも見られずにトイレに行ける」
なんてことは、考えなくて良いなら考えたくなかった。
わざわざ人気のない場所にあるトイレに毎回行くと目立つから、図書室に近いところを選んで、お昼休みに「本返してくる」といって使うようにしていた。
図書室のおかげでそこのトイレに自然に行けるのには本当に助かった。といっても毎回本を返しに行くわけにもいかないので、図書委員になって、さらに自然に図書室方面に行く口実を作ったりもした。こんなふうに生理を隠すためにいろいろなことをした。
 生理を肯定的に受け止められる人は、こんな努力は必要ないのだろうと思うと、少し羨ましい。多分、生理が来た日や時間まで記憶している人なんてのもいないのだろうと思う。
他の人には、僕みたいに忘れられないくらいの衝撃はなかったんだろうなぁ、とも思う……。
 それに今考えると、学校滞在時間8時間くらいのうち、1回、多くて2回しかナプキンを変えなかったのは健康的にも衛生的にも良くなかった。 
 最低でも2時間に1回は変えるのがいいみたいなことを、女の子だけが集められた授業で教えられたけど、漏れなければいいかとナプキンの限界量まで働かせていた。ナプキンが優秀で助かった。 
 不衛生なままにすると、トキシックショック症候群等の中毒症状がおこることがある(これはタンポンだけど)とか、そういうことも教えてくれたらもう少し頻度をあげられていたのかなと思う。
 今の学校はそういうことも教えているのだろうか?
 そういえば、さっき書いた「女子だけ集められてナプキンの使い方を教えられる授業」も大嫌いだった。
 女子だけ別の部屋に移動しますよ~、と連れていかれるときは教室に残りたくて仕方がなかったし、ナプキンのサンプル品が全員に配られたときも捨ててしまいたかった。 
話の内容も、混乱とその場への嫌悪であまり集中して聞けていなかったし、今でもほとんど思い出せないけど、とにかく恥ずかしくて、教室に戻りたくて、なんだかとても惨めだった。帰ってから、そのサンプルは捨てようと思ったけど、せっかく貰った物をなんでって怒られそうだったから、日頃使っていない収納箱の奥のほうに押し込んだ。 
 そうしてこれまた生理痛が重いタイプだったのがまた不幸だった。
 経血の量も多く、本当は人よりナプキンを変えなきゃいけないくらいで、期間中は鎮痛剤が手放せないし、診断を受けたことはないけど、いま思えばおそらくPMS月経前症候群だったのだと思う。生理前になると急激に気分が落ち込んで、何もする気が起きなくなったり、涙もろくなって泣いてしまうことがあったから。その上排卵痛もあったものだから、子宮関連の痛みを感じるたびに泣きそうになって、消えてしまいたい気分になった。
 女の子じゃないのにお腹は痛いし、血は出るし、涙も出るなんて、最悪でしょう?
 そして生理の開始と同じくらいに、胸の成長も始まった。平らなうちは違和感はなかったけど、膨らみ始めた途端、自分の体に嫌悪感を抱くようになった。
 そこだけまるで別人で、僕の体じゃないように感じたのだ。
 発育も良いほうだったようで、走ると揺れて痛くなるようになった。体育関係では水泳の授業が地獄で、胸は目立つし太ももは気になるし、お尻には水着が食い込むしで嫌だった。水着は女らしさを隠せない!
 胸に関しては友だちには大きいといわれたことがあったりして、目立たせないために自然と猫背になっていった。これは今でも治っていない。多分手術で胸を取るまで治らないのだろうと思う。背中を曲げ始めたあの頃の自分に、胸をつぶして平らに見せる下着があることを教えてあげられたらな、とつくづく思う。
 今はそういう情報もネットですぐ見られるのかもしれないけど、小学生でネットを駆使するのはいまもやっぱり少し難しいような気がする。
 という感じで、僕の小学校生活は生理を筆頭とした二次性徴との闘いだった。生理の存在を知ってから、生理が来るまでも、来てからも、ずっと最悪の状態……。
 生理が始まっても毎回来るな来るな、と念じていたことがストレスになったのか周期が安定せず、回数が少なかったのはよかった。だけどそれが逆にいつ来るかわからない不安にもつながって、やっぱり最悪だった。
 自分が女の子だとちゃんと思ってる子たちは、この時期をどう過ごしていたんだろうと思う。自分の体の変化を友だちや親と喜んだりしていたのだろうか。だとしたら、それはとても幸せなことだと思う。僕は自分の成長を喜べなくなったのだから。

~次回(来年1/17)に続く~

<次回・次々回はお休みします。林さんの寄稿文、続きは来年ご紹介です!>

2022年12月19日