LGBTQ+の本棚から 第267回 遠回りしたら僕から・7
トランスジェンダーの林ユウキさんからの寄稿を数回に分けてご紹介しています。
※この寄稿文はブクログには掲載しません
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次の日の朝は寮内放送で始まった。先に起きていた先輩が優しく起こしてくれて、ジャージに着替えて外に集合するのだと教えてくれた。外に出て、部屋順に整列する。そうすると、寮にいるほとんどの人間がそこに出てくることになるので200人くらいが集まった。ここにはこんなに女の子が住んでいるんだ……と改めて驚いた。
いつもなら朝の体操をするらしいのだが、最初ということで、点呼を取った後、部屋に戻って初登校の準備をする流れになった。ちゃんと制服を着られているかとか、先輩がチェックしてくれた。首元はリボンかネクタイが選べたので、迷わずネクタイを選択。結び方を教えてもらったりして無事制服を着ることができた。
そこで改めて思ったけど、この制服、スカートの丈が短い。中学生の頃は膝下まであったのに、ここは膝上丈で、なんとなく嫌だったけど、短いものは伸ばせないので仕方なく登校した。
校舎には全校生徒が入れる大きな食堂があって、先輩と、他にも同じ部屋の人たちとご飯を食べた。味は可もなく不可もなくといったところ。食事を終えて、先輩が1年生の教室まで案内してくれる。
「がんばってね」と送り出されて入った教室は、シーンとしていた。なんとなく雰囲気が固くて暗い。ホワイトボードに貼られた座席表をみて、ひとまず席に着く。新しい環境が苦手な僕はめちゃくちゃドキドキしながら、入ってくるひとを観察した。わかったのは、どこにでもいる、底抜けに明るくてテンションの高い子が1人もいなかったことくらいだ。 全員がそろった後、担任の先生が入ってくると、場に張りつめていた緊張感が解けた気がした。やたらテンションの高い、ポジティブな初老の先生だった。この先生のおかげで、その後の僕の高校生活はいい方向に向かうのだが、もちろんこの時はまだそんなことはわからない。
学校が始まって最初のうちは、自己紹介とか教科書の配布確認とか、そういうことが山積みでそれを処理するだけで精一杯だった。
少しして「学級委員長を決める」ことになったのだけれど、当然誰も手を挙げない。
知らない人間ばかりのところで誰だってそんなことやりたくないよな……と思いながら、学校特有の沈黙の時間というものに弱いため、耐えられなくなって、僕は手を挙げた。ほぼ同時に僕より少し遅れて手を挙げた女の子がいたので正直その子にやってほしかったのだが、僕に決まってしまった。ということで高校生活序盤で、僕の呼び名は委員長になる。でも性別がわからないこの事務的な呼び名を僕は気に入った。それに委員長になったからといってやることはあまり無かったので、特に問題はなかった。
不登校の生徒ばかり集めたクラスだったので、英語の授業はアルファベットからだったりと、どの教科も初歩的なことばかりから始まったので、勉強にはすぐ慣れることができた。
起床、朝食、学校、夕食、自習、入浴という暮らしのルーティンにも慣れ、一息ついた頃、学園祭があるという話を担任から聞かされた。
なんでも、新一年生の生徒が寮生活でがんばれているところを親御さんに見せるための催しらしく、1年生は全員で校歌を歌うのだという。
そこからは毎日、終礼で校歌の練習、寮でも集会の後に練習、が始まった。
これがただ歌うだけなら小・中学校と変わらないのだが、全力で歌わせられるのだ。めちゃくちゃ大声で……。
先輩たちのお手本はホントにすごくて、ほぼ叫んでいるような人もたくさんいた。軍隊みたいだ……と思い、すごいところに来てしまったなぁ、と少しびびった。
中学生の頃なんて校歌をちゃんと歌ってるのなんて最前列に並ぶ級長とか真面目な子くらいで、みんな全然歌わないか、てきとーに歌ってて。だから何度もやり直し……なんてこともあったから、校歌ってこんなに真剣に歌うものなのかとビックリした。
歌詞カードが配られて、覚えるまでは良かったけど、覚えてからはもう手抜きが許されなくなって、校歌ひとつ歌うだけなのにみんなすごく真剣にならざるをえなくなり、妙な謎の結束力も生まれた。
たぶんそれが学校の狙いなんだろうけど……。
部屋に帰ると先輩たちが「卒業式で歌う応援歌はもっとやばいよ」と教えてくれてちょっと引いた。あの校歌以上のことがあるなんて……。
学園祭は5月上旬に開催された。それに向けての準備や、当日の進行は実行委員の先輩たちが引き受けてくれるということで、1年生はリハーサルで指定された場所に行く練習を何回かしたりするくらいで、当日もすることはなくて、ただ渾身の校歌を発表するだけだったのだけど、みんなどきどきしながら各々の家族を待って、緊張していた。
学園祭が始まると、この1か月で1年生はこんなことをしました、がんばりました、というのが発表されて、その最大の成果として校歌を発表するという流れだった。
その校歌発表をした学園祭には母も来てくれたが、全員が全力で歌う姿に圧倒され「がんばってるなぁ」と思ったそうだ。
自分でも家で引きこもっていた頃に比べて、家を出てしっかり学校生活を送っている姿を見せることができて嬉しかった。
なんとなく不登校になって少し後ろめたく思っていたことがなくなったような気がした。
という感じで、僕の高校生活のスタート兼不登校脱出を一ヶ月後に母に見せることができ、本当の意味での再出発となったのだった。
そうしてその間にクラスの人たちとも仲良くなれ、みんな色んな理由があって、ここに来たのだということを知った。
いじめや、不登校、人間関係や家庭の環境……理由は本当にさまざまだった。この学校は1学年4クラスあって、不登校の原因なんかによって振り分けられる。
僕のいた組はあまり活動的でなく、静かな子が集められたクラスだった。
いじめられて学校に行けなくなってしまった子や、理由がわからないまま不登校になってしまった子など、みんないろいろなことを抱えているせいか、変に相手の事を探ることもなく、いま思い出しても、相手を尊重する空気感がとても良かったと思う。
他のクラスには学校に行くのをボイコットしていた子とか「いけない」じゃなくて「いかない」を選択していたパターンの子がいたりして、活発なクラスもあったようだ。
以下、ご紹介はかん子のブクログでご覧ください。
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2023年04月24日