学生の文章を読んでいると怒るというより、困惑する。
学生の文章を読んでいると怒るというより、困惑する。
まず、読書感想文なのに、話が理解できていない。
それはどーでもいいことじゃん?
というのをポイントにされてもなぁ、というのがとても多い。
他の人と違う視点を、なのかもしれないが、それは、どーでもいーことに注目せよ、というのとは違うと思うんだよね。
なおかつ、ちっともわかっていないのに、深く理解した、とか、読みとった、とか書かれていると、片腹痛い、を通り越して困惑せざるを得ない。
そういう言葉を使いなさい、とたぶん小論文の指導でいわれてきているのだな、と思うが、高飛車というか、この上から目線はいったいなんなんだろう?
前にどっかの大学で話をしたときも、赤木さんからこの話を引き出せたのは収穫だった、と書いたやつがいて、おいおい、と思ったが、本人にはそのつもりがなくても、文章を読むとすごく高飛車に見えてしまう。
それともう一つわかったことは、小説を読む手法でドキュメンタリーは、読んではいけない、ということだ。
リアル系の人に、物語の読み方は話さないといけない、とはわかってはいたが、物語読みにも、リアル系の読み方を話さなければならない、ということは気がつかなかった。
ドキュメンタリーは、ほぼ本当にあったことで、著者の思惑通りに事件が起こるわけではないのだから、意図してそういう話にしてあるわけではない、ということを説明しなければならなさそうなのだ。
だから、そこんとこを、どんな意味があるのだろう?というような”考察”をしても意味がない、ということをーー。