司書便り、いただきました。
司書便り、頂きました。
これはこの前の塩谷さんの授業を踏まえてのものだと思います。
なにせ、テーマが
「考えるとは何か」
だったからね
😄
ビビッドに応用してくれると嬉しいね。
でも、もう一回聞かなきゃわかんない~😅
覚えてられない~😅
まぁ、覚醒してる脳(私)が覚えてなくても、無意識の脳(無意識領域の自分)は覚えてくれて、勝手に使うようになるもんだが……。
来年高知でまた聞かなきゃなぁ。
02月11日です。
みなさん、来てね!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「マカロンの話」
話す・やってみた・考える、を反芻する
少し前のこと、私はTwitterでよく見かけるお料理動画に触発されて、マカロンを作りました。
1分ほどの動画で、材料さえ揃えれば、簡単にできそうに見えました。
しかし、やってみると実際はそう簡単にはいかず、出来上りは材料の味の他はマカロンとはほど遠いものになりました。
その動画では、いっていないことにコツがあったのです。
先日、かん子さんと向かい合って晩御飯を食べていた時、ふとこのことを思い出して、
「簡単に見えて実は難しかった、失敗しちゃった」
という話をしました。
会話しながら
「じゃ、その動画が簡単すぎてダメなの?」
と聞かれ、その質問から、いや、簡単に見えるから、作ろうとするハードルが下がって見えることに意味があるんじゃないか、との、私の新しい考えが引き出されました(でも、できなかったんだけど、それじゃ)。
それから、何日も寝て起きてを繰り返す中で
おや?
簡単に見えるものを見て、できるような気持ちになることは多いもんだな、と気がつきました。
最近はそういうわかりやすい説明が増えてうれしい反面、実は見えないコツが隠されていて、伝わっていないこともあるはずです。
マカロンのようにー。
そうして、つらつらと場面や会話を反芻しているとき、そうだ、最近の若い人(ざっくり感じるのは40前の人)に感じる万能感はどこから来るのだろう?という疑問と並べてみたらどうだろう、と思いました。
わかりやすい、見ることが簡単なものに囲まれた人にとって、それが実際自分に出来るか出来ないかは、やってみるまではわからない、ということに、やってみてないとわかってない、のではないか、と思いついたのです。
そうすると
その万能感はどこから?
の疑問は少し解けるような気がします。
私は、その場ですぐわかる、ことが苦手(俗にニブイという)で、次の日、またそのあとで、とぼんやり考えながら出来事を整理するタイプですが、学校の授業も、国語6時間連続とかないですよね?
きっと、習ったあと、寝て、起きて、時間がたって、の間に得た情報が他のものと繋がって
『考え』
になるのだと『考え』ました。
実際にやってみたり、他の人と話してみたりすることは楽しいだけじゃなく、必要不可欠なんだ、 ということを実感しました。
ということは子どもたちもそうなんですよね?
経験って大事……。